Australia-Japan Research Project

オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト
戦争の人間像
ブーゲンビル

ソロモン諸島北部に位置するブーゲンビル島は、日本軍によるオーストラリアからアメリカへの連合軍補給ルート遮断作戦計画を支援するために戦術的重要地点であった。そして、島は日本陸軍の第17軍第6師団と海軍の設営隊および陸戦隊によって、ほぼ無抵抗で19423月に占領された。

194311月にアメリカ軍海兵隊師団は、この地域での連合軍反撃作戦として、ブーゲンビル島西海岸のトロキナに上陸した。日本軍司令官が、これに対する攻撃を翌年3月まで遅らせた結果、アメリカ軍は強固な守備地点を確保し、使用可能な飛行場を築く時間を得た。日本軍による反撃は失敗し、その後は双方ともそれぞれの守備範囲を確保し巡視し、予断を許さない均衡状態を保っていた。

しかし194411月にオーストラリア軍が到着すると、状況は変化した。オーストラリア軍は、「ブーゲンビルの日本軍を壊滅させる」ための作戦を開始した。島の中央部を横断するヌマヌマ道や、日本軍陣地の中心であった南部のブイン、そして北部のボニス半島とブカ島の日本軍陣地を破壊するために、戦闘が再開した。これらの作戦でオーストラリア軍は516名の戦死者および行方不明者を出したのに対し、日本軍側の戦闘による戦死者や栄養失調や病気による死亡者の数は、42,000人を上回ると考えられている。


Printed on 05/18/2024 07:34:49 PM